一月十日、「ドラゴンクエストY・コンサート」に姪(ピアノ教師)、大姪(高二)、息子そして私の4人で行ってきました。
新宿文化センターは完売の満席。

あまりにも有名なドラクエ。そしてこコンサートは毎年日本全国のどこかで
開かれてます。イギリスではロンドンフィルが演奏。N響も。大変な人気なんですね。
心の奥に届く曲が多くてちょっと涙が出そうなときもありました。
ここから少し長くなります。お時間ある方だけお付き合い下さいませ。
こちらはドラクエ作曲者の
すぎやまこういち氏。
実はホンちょっとだけご縁がありました(過去形)
そのときの顛末を聞いてください。
作曲家になる前,彼は
フジテレビのディレクターで当時(半世紀くらい前)大人気番組「
ザ・ヒット・パレード」を担当していました。生番組でスマイリー・小原(踊る指揮者)やザ・ピーナッツがレギュラーで司会は吉村真理さんだったと思います。
一方私は高校一年生(二年生だったかもしれない)。その頃私たち仲良し3人組はFEN(極東進駐軍放送局)を聞いてリアルタイムの北米ヒット曲を聴いていたのですが、当時の日本にはまだロックやエレキギターのバンドは市民権を得ておらず、いうなれば私たちは日本ではヒット曲の「最先端」を聴いていたのです。(100パー自慢

)
そしてある時、成増のアメリカン・スクールのパーティで演奏していたランチャーズというスクールバンドと知り合いになり、彼らを「ザ・ヒット・パレード」に出演させて日本にもアメリカと同じ曲を紹介しよう〜という無謀な計画を立てたのです。生の演奏を間近に聴いて大いに感激した3人でした。
それから数ヵ月後、彼らに話をすると大いに乗り気。
全く面識のない
すぎやまこういちさんに電話で「とにかくアメリカ少年たちのバンドを聞いてください」と頼み込みOKを頂きました。
次の週、ギターとアンプを持った彼らと中野駅で待ち合わせの約束。

何故、中野駅だったのか思い出せない。
そしてそこからフジテレビ局(当時新宿区河田町)にタクシーで行き、本番が終わるのを待ち、第七スタジオからセットが片付けられるのを待っていると、二階の調整室から降りて来たのが
すぎやまこういち氏。
今でも忘れません。頂いた名詞には
「若さと美貌の すぎやまこういち」と書いてありました。面白くて自由な人と言うのが印象的な方でした。
ガランとした大きなスタジオの中でランチャーズの面々が演奏の準備をしていると、そこに渡辺プロの社長の
渡辺晋さんが「どう?」と
すぎやまさんの横に。彼らの演奏を聴きに来たのでした。
わ!ナベプロの社長だ=!!泣く子も黙る渡辺晋(元ジャズベーシスト)
そして、準備が整い彼らは二ッコニコ顔で3曲演奏し、お二人に聞いて頂きましたました。
私は「もし番組に出していただけるなら3曲演奏させて欲しい」と言うと「それは無理だ。ピーナッツも布施(明)も一曲だけなんだよ。」と社長。
そして言われました。
ナベプロ社長「このバンド、パーティーにはいいかも知れないけど、こんなにボリューム大きくしてガンガン演奏するのは素人だ。テレビでは無理なので悪いね。」
すぎやま氏「うん。テクニックがまだ甘いし、ギターのバンドだったら寺内タケシとブルージーンズのほうが全然上手いなあ。わるいけど、お疲れ様。」
・・寺内タケシよりずっと曲もいいし、見た目もいいのに・・・とは、言いませんでしたが、胸のうちは正直そんなことを考えてましたね。

(こらこら)
がっくりしましたが、私はランチャーズの男の子たちに気の毒で・・・全員かなりうな垂れながら重い荷物をタクシーに載せ帰途に着いたのでした。
その後、彼らは「楽しかった、面白かった」と言ってくれましたが、悪いことしたと反省。
高校生の私はそのとき、何か冒険をするときは人を巻き込まないようにしようと思った次第です。

終わり
GREAT
DAVID BOWIE
REST IN PIEACE


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