ポール・マッカトニーにご興味の無い方は遠慮なくスルーなさって下さいね。
永遠の恋人
1966年、ビートルズの日本公演はまだドームが建設されておらず、日本武道館でした。瞬きもせずオペラグラスでポールをずっと見ていました。
1980年、WINGSとして来日したときは大麻所持で全公演中止(このときも武道館)。そのときは全日程のチケットを買ってました。勿論払い戻しはされましたがとにかく悲しくて悲しくて。10年待たされてソロで公演。姿を見たときはもう涙涙でした。それから二回来日しまして、02年の時は新しい妻・ヘザーミルズを迎えていてそれが影響していたのか、コンサート自体が盛り上がらなかったです。色々事情があるのですが・・・・彼女の存在はファンにとって暗い影でした。すぐヘザーーと別れてよかったです。勿論ポールにとってもです。慰謝料を400億円払っても彼にとっては正しい選択でした。
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そしてそれから11年ぶりの来日。東京ドームの公演は自分の座席につくまで60分は考えておかないととんでもないことになります。トイレに行こうもんなら20分〜30分は見ておかないと席に戻れません。とにかくだだっ広い。人が50000人以上。
いよいよはじまりました。最終日とあって熱気が凄い!私は騒がずじ=っと心の中でこの瞬間の幸せをかみ締める。いつもそうですが、ポールの公演では私の身体の回りにはバリアが張られて独りでポールを見て曲を聴いています。変人かしら?でもコレが私なので〜
毎回舞台設定は同じですね。マジックピアノの模様が違っていましたけど。
この11年で皺がふえたな〜でも二十歳代のときと同じ音程でシャウトもそのままは他に類を見ないほどです。喉が強いのとケアを充分しているからでしょうね。
亡くなったジョンとジョージに捧げる、そしてジミ・ヘンドリックスを追悼するといって「Let Me Roll It」から「Foxy Lady」につなげるという前代未聞の超絶メドレー。
私が一番好きな「Maybe I'm amazed」。間奏のギターの旋律にまたまた涙涙です。
あ〜私の青春時代をともに生きてきた曲の数々。激しいロックでさえも私の心はウットリしてました。
コレが最後であろう今回の公演でした。
ジョンレノンとは違ってポールは誰とでも気楽に話し何一つもったいぶったところが無い。そこが逆にジョンのようなカリスマ性に欠けると人は言いますが、彼はそういうものを欲さない人なのです。
ジョンレノンはアメリカに移住しましたが(国外追放にもあってますが)ポールは絶対に英国を離れません。
ユニオンジャックの絵が描かれたへフナーベース。ホントニホントニ素晴らしいミュージッシャンです。どれだけ名曲を書いたことでしょう。
さて終了してからドームを出るのが又大変です。自分勝手に行動してはいけません。必ず誘導のアナウンスがあるのでそれに従ってでます。さもないと大きな事故に繋がる危険性が充分にあります。
そのくらい沢山の人間が一箇所に集まるのは大変危険をはらんでいるということですね。出るのには20〜30分ですね。入るときよりはスムーズでした。

東京ドームは勿論野球場ですが残念ながら私は実物の野球を見たことかありません。あれだけ広いところでしたら気持ちよいでしょうね〜因みにわたしが東京ドームにきたのは「ポール・マッカートニ」「ミック・ジャガー(ソロ)」「ローリング・ストーンズ」だけ・・・。せっかくウチから近いですし、一回は野球を見てみたいです。

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