私が20代のころYAMAHAのエレクトーン教室に通っていました。
そのお教室で知り合ったのが意外にも私の家の近くに住むMさんという、私より20歳年上のとっても美しい女性です。ご近所ですがバス通りをはさんだ向こう側に住んでらしたのでそれまで全くお付き合いはありませんでした。
Mさんは背が高くスマートでゆらゆら揺れる美しい長い髪と何よりも上品な笑顔。おしとやかな雰囲気の方で私は一目で大好きになったのです。どこか影のある、決して大声で笑うようなこともなく・・・大人しい人だけではなく何かを秘めている、そんな空気を漂わせた人。
そんなMさんはエレクトーンを楽しんで習っている様子でした。
ある日レッスンのあと思い切ってお茶に誘いました。
中野の小さな喫茶店に向かい合ってお茶を飲みましたが、目の前の美しい人に見とれてお茶をこぼしてしまった私。Mさんは驚きもせずゆったりとハンカチを差し出してくれました。
後日、Mさんの「ウチに遊びにいらっしゃい」とのお誘いに「ハイ!伺います!」と喜び勇んで答えた私はまるで子犬のように尻尾が千切れるほど振っていたと思います(笑)
芝生の広いお庭。西洋式のお部屋。そこに真っ白なエレクトーンが置いてありました。
何もかもMさんにぴったりのセンス!
それから一年あまりでエレクトーン教室に姿を見せなくなったMさん。どうしたのかしら、と思いながら私はその理由を聞かぬまま時を過ごし、そのうち気持ちも薄れていったのです。
そして、今年の冬。
私の家とMさんの家の中間にある昔なじみの酒屋の奥さんとおしゃべりをしていたとき、思いもよらぬMさんの運命を知ることなったのです。Mさん宅はこの酒屋さんとのお付き合いが古く、酒屋の奥さんはまた仕事柄いろいろな家庭の事情もよく知ってます!
Mさんは昔から年に数回大阪に長期滞在してその都度大きな荷物を運んでいたということ。
その間はホテル住まいだそうで、そんな生活を何十年も続けていたそうです。何のために・・・?
酒屋の奥さんが小声で言うには「Mさんのダンナが大阪の人だったからね」。ダンナって・・・?
結婚は出来ない間柄と言うことですが、Mさんはずっと待っていたらしいのです。
そして今から10年前に大阪の常宿でMさんは自らの命を絶ったそうです。
そのころMさんは70を超えてる筈。
長い道でしたね。このときほど人様の魂の安住を願ったことはありません。
Mさんには娘さんが一人。酒屋の奥さんは娘さんから一部始終をだいぶ前から聞いていたそうです。彼女は今現在、あの素敵なおうちに一人で住んでらっしゃいます。
Mさんとの短いお付き合いは忘れません。
ほかに幸せになれる道はなかったのでしょうか・・・

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